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このひとは孤独だと思った。
わたしが、ついていないと駄目だ、そう思った。
一生ずっと、このひとといっしょにいよう、強く思った。
1
あなたと出会ったのは、もう三年前。
病院の喫煙所だった。
その頃あなたは、メンソールを吸っていて、細いたばこを吸いにくそうに、くちびるを尖らせて、くわえていた。
たばこを切らしたあなたは、隣に偶然居合わせたわたしに、たばこが欲しいとつぶやいた。
その言葉の奥に、わたしは何やら、どきりとするものを感じて、困ってしまった。
それが何だったのか、はっきりとは分からなかったが、このひとは寂しいんだと思った。
あなたは、婚約者がいるの、ぽつりと言った。
それきり会話はとぎれた。
あなたは、不幸なように思えた。
あなたの言う婚約者は、実在していなかのようで、存在がまるでうすかった。
その日、わたしがあなたについてわかったのは、あなたは、誰かを必要としているのではないかという、うっすらとした感触だけだった。
が、あなたと会うのを重ねると、その感覚を実感として、捉えるのだ。
実体が見え隠れするようになったのは、出会ってから、そう長くは時間がかからなかった。
しかし、わたしの身で、いったい何ができるだろうという、懐疑の念が重く、わたしの頭を立ちこめ、そして支配し、わたしは身動きが取れなくなるのが常だった。
そんなわたしの背中を軽く押してくれたのも、あなただったのは、不思議でもあり、必然性をまた感じざる負えないのだ。
2
クロード・ドビュッシーが好きだというあなたは、なぜかエリック・サティの名前さえ知らなかった。
わたしは、フェリージのナイロンポーチからiPod nanoを取り出して、サティを検索、再生してあなたの耳にパッドをあてた。
「きれいなピアノ曲。ちょっとドビュッシーに似てるみたいだわ。なんていう曲なのかしら」
「サティも、ドビュッシーと同じく、二十世紀フランスのクラシック音楽を支えた一人です。他の曲も聴いてみれば分かると思いますが、かなりジャズに近いものがあります。ドビュッシーにも言えますが」
「お答えになっていないようですわ。曲の名前は?」
「『Je te veux』といい曲です」
「何語かしら。英語ではないみたいですけれど」
「フランス語です。意味は・・・」
「意味は?」
「・・・、あなたが欲しい」
「うふ、知っていましたの。わたし、大学で第二外国語でフランス語を習っていましたから。ちょっと、あなたの反応を見てみたかっただけです。
そう言うとあなたは、左の口もとをす少し持ち上げて、笑みを浮かべた。
えくぼが、左のくちびるの少し下辺りに浮かび上がった。
「いっしょに聴きましょうよ」
片一方のパッドを、わたしの左耳にあて、サティをふたりで聴いた。
ピアノの旋律に、鼓動が重なって、わたしの心臓は敏感に震えて、なんだか身体が昂ぶった。
あなたとの距離が、一歩近づきつつあるのを、わたしは肌身で感じとったのだ。
わたしは、あなたが欲しくなるのを、禁欲主義的な配慮を以て、意識的に自らを抑制した。
あなたは、わたしよりかなり年はかなく、許婚者がいるのだ。
自分に言い聞かせた。
が、そう思えば思うほど、わたしは、あなたの中の女性を強く感じてしまうのだった。
それほど、あなたは美しく魅力的な女性だった。
五分弱、この曲が終わるまで、あなたとのプラトニック関係を築き上げる方案を頭の奥で念じていた。
空論は虚しく、わたしの胸を打った。
烈しく鳴るチャペルの三時の鐘の音とともに。
外出時間が終わった。
病室へ戻らねばならない。
わたしは、プロメテウスのよう重い鎖から解放された気分とともに、また裏腹、さびしい思いをぶらさげて、とぼとぼと病棟へ歩をあゆんでいった。
あなたに、さよならを告げて。
そんなセリフが、フランスのシャンソン歌手フランソワーズ・アルディにあるのを思いだして、苦笑した。
そいうえばこの曲も、わたしの今持っているiPod nanoに入っているのを憶い出した。
今のわたしの気分はまさに、アルディのヒット曲『さよならを教えて』なアンニュイの気分だった。
夕食までの時間。
わたしは無為に、この曲が頭を離れずにいて、ずっと天井を見つめていた。
白いはずの天井には、やはりというようにあなたの顔が浮かんで見えた。
よく見れば、染みなのだが、どうしてもあなたの横顔に見えてしかたがなかった。
いつの間にか、わたしは寝息をたてて、眠っていた。
つづく
ヴァレンタインデイ。初めてのデート、寒い夜だった。
少女は男の子と、公園の観覧車に乗った。
少女はベージュ色のコートの裾を捲り、ピンクの手ぶくろを取った。
バッグの中に手を入れ、夜を更かして作ったチョコレートが入った包みを取りだして、膝の上に置いた。
男の子の顔を見た。男の子は心上の空、遠く夜景を眺めている。
「きれいだね」
男の子が言うと、少女の方を振り向いた。笑顔だった。
少女はその日、自分の中で、心が初めてときめいたのを、小さなその胸の奥、鼓動が速く高鳴るを知った。
わたし、この人が好きなんだ。その時初めて思ったように。
少女は躊躇うことなく、膝の上の包みを手に取り、
「初めて作ったから、自信ないけど・・・」
男の子の顔の表情がぱっと明るくなり、
「ありがとう・・・。ほんとのこと言うと、女の子からチョコもらうの初めてなんだ。ここで食べていいかな」
男の子はたどたどしく、ピンクのリボンを解くと、包み紙を丁寧に剥がし、折りたたんで、紺のピーコートのポケットに仕舞った。
箱を膝の上に置いて、蓋を持ち上げる。
「おいしい。口の中がとろけそう。今はひとつだけにしておくね。残りは家に帰ってゆっくり味わうから」
観覧車は、ふたりの永遠の時間をよそに、短く時間の環を1周し終えようとしていた。
観覧車が地上に降り、重力がふたりの間にふりかかった。
男の子が、少女の手を取った。
少女はためらったが、男の子はぎゅっと手を握った。
手は冷たかったが、次第に温もりに変わっていった。
ひとの温かさを初めて知った時間だった。
男の子は家まで送ってくれて、次に会う約束をして、その日は別れた。
少女は自分の部屋で、その日の余韻、しばし浸っていた。
ふと我に帰り、バッグの中を探った。
かじかんだ手が、バッグの内側に当って、擦れた。
手ぶくろが、片方見つからない。
少女は左の手ぶくろだけはめて、右手は男の子と結んでいたのだ。
バッグの中の物を全部出したが、手ぶくろは見つからなかった。
少女は気がつくと、男の子の携帯に電話を入れていた。
「ないの。手ぶくろが。きっと観覧車の中に忘れてきたんだと思う」
「大丈夫。明日、ぼくが取りに行ってくる。だから、今日は安心しておやすみ」
明くる日。夜まで待っても男の子からの連絡はなかった。
少女は男の子の携帯に電話をしたが、発信音が続くばかりだった。
その夜、少女は一睡もできなかった。
少女と男の子が会うのは、その夜が最後になった。
男の子は、その夜遅く、観覧車のある公園に行くと親に伝え、自転車で家を出た。
そして、自動車と事故に遭い、その短かすぎる命を失った。男の子の左手には、しっかりとピンクの手ぶくろが握られていた。
そのことを少女が知ったのは、男の子の母親からの電話だった。
あれから3年の月日が流れた。
少女はもう少女ではなく、ひとりの大人の女性になっていた。
ピンクの手ぶくろは、今でも彼女の机の引き出しの奥深くに仕舞われている。
毎年、その季節が近づくと、かつて少女だった彼女は、今でも少年のままのその男の子のことを、思いだす。
眠れない夜には、引き出しを開けるみることもあった。彼女と少年のイニシャルが縫われた手ぶくろに。手ぶくろを頬に寄せ、頬ずりしたあの寒い夜。
今ではもう遠く、記憶の彼方、彼女の思いでの中だけに生きている。
こんな物語りを書いてみたくなった、2月の夜。
C.Mさん 「ハピ・エンディングじゃなくて....申し訳ないです w」
ウサギはさびしいと死んでしまう動物だと聞いたのは、今つきあっている彼氏からだった。それを聞いて、私は幼い頃の思い出に還った。
私は小さい頃、ウサギを飼っていた。そのウサギは三年くらい生きて、死んだ。死因は分からなかった。ただ彼氏の話を聞いて、私はある種の罪悪感に襲われた。私が飼っていたウサギは一羽だった。両親は共稼ぎで家には殆どいなかった。ウサギを飼い始めた頃の私にはウサギしか友達がいなかった。毎日学校から帰るとランドセルを置いて、ウサギと遊んだ。そんな生活が二年程過ぎた。
ある日、学校のクラスに転校生が来た。私はその転校生と仲良くなった。しばらくするとその子の家で遊ぶ習慣ができた。家に帰ると真っ先にランドセルを玄関に置いて、その子の家に走った。そんな生活に馴染んだ頃、ある朝ウサギは死んでいた。丸くなって硬くなっていた。触るとその冷たさと硬さに驚きとともに、死骸という何か穢れたものを触ったような気がして、洗面所でごしごしと手を念入りに洗った。
その日の放課後、転校生の子の家に向かう途中、泣いている女の子がいた。赤いランドセルをしたかわいい子だ。私は、
「どうしたの」
と、聞いた。
「おなかがいたいの」
その子は言った。
「うんちがしたいの?」
「うんちはしたくない。おなかがいたいの」
その子は泣きながら、言った。私はお腹をさすってあげようと、その子のお腹に手を当てた。ぞっとした。冷たかったのだ。そしてその感触は、今朝死んだウサギそのものだった。私は気が動転して、その子を置いて走り去った。
そんな思い出がある。だから彼氏からその話を聞いた時はドキッとした。私がさびしくさせたから死んだのだと思った。でももう昔の事だ。記憶もあいまいになっている。私の思い違いかもしれない。そんな事を考えながら、通りをぼんやりと歩いていた。
交差点の信号機の下に、赤いランドセルを背負った女の子がしゃがんでいた。私はそんな事を考えていたせいもあってぎょっとした。声をかけようか、かけまいか、迷っていた。そしたらその子が立ち上がり、近寄ってきた。
「おかあさんが見あたらないの。わたし迷子かもしれない」
その子は言った。私はほっとして、
「じゃあ交番に行ってみようか」
その子の手を取って、交番に連れて行った。交番にはその子のお母さんが来ていて、お母さんに何度もお礼を言われた。別れ際、女の子が、
「おねえちゃん、じゃあね」
小さなもみじみたいな手を大きく振った。私もその子の頭を撫でてから、手を振って別れた。
私はやっと子どもの頃のウサギの思い出を、よい思い出にすることができたような気がした。のんびりと商店街をのぞきながら、私は家に帰った。
夜中に目を覚ました。早朝覚醒だ、もう朝まで眠れない。やることは、ひとつ、Vox Hunt。僕はベッドから飛び起
きて、PCを起動させる。VOXのトップページが画面に写るまで、僕は画面を見つめながら、煙草を吸い、そして、画面は開かれ、ログインする。
TAGを入力し、検索する。画面一杯に、画像が豆粒みたいに無数に光っている。僕はランダムに画像をダブルクリックして、チェックし続ける。
あった!、僕のお気に入り。画面を開いて、記事を読む。コメントを入れたい、強く思う。僕は寝起きのぼんやりした頭で、何を書いているか自分でも分からず、キーボードを打ち続け、送る。それを何度か繰り返す。
僕は一息入れて、「ご近所さん」をチェックする。更新はないようだ。そしてまた、トップページに戻り、TAGを入力する。
朝までがそれの繰り返し。夜から夜へと流れていく時間、PCだけが光を放っている異様な風景の中で、眼だけを見開いて、じっと画面を見つめている。
夜、家に帰ってきて、VOXをチェックすると、誰とも分からないニックネームから、コメントが入っている。よく調べてみると、どうやら夜中に、コメントを入れた人らしい。
メールをチェックすると、「あなたは○○さんの近所さんに加えられまし
た!」とある。僕は、そのニックネームのブログをクリックする。これか!自分のニックネームがしっかりと最新コメント欄に写っている。コメントの記事の続きを読む。わからない。自分で書いた文章なのに、全く覚えていない。でもそこには、美しい朝焼けの空の画像と、僕が書いたコメント。
「青と紫と桃色が混じりあった空が美しい。
写真を撮った人の心の表れか、刹那の瞬間、
あなたはあの空に魅入られていたのですね。」
僕は自分でもよくできた文章だな、って思った。
僕はその記事をお気に入りにして、PCを閉じた。
煙草を一本吸い、ベッドに入った。眠りはすぐに訪れ、夜の深い闇の奥底に沈んでいった。
ヘルマン・シェルヘン指揮
チャイコフスキー「交響曲第4番へ短調op.36」を聴きながら
女心と秋の空とよく言うが、秋子はそんな女だった。毎日気持ちが変わる女だった。うつろいやすい性格と感情の起
伏の激しさにいつも私は翻弄されていた。だがそんな性格にまた惹かれていた。例えばこんな話がある。秋子はある日、こう言った。あなたより後に死にたいわ。だって私が死んだ後、あなたが誰かを好いたら、そんなこと耐えられないもの。その翌日、私あなたより先に死にたいわ。だってあなたより先に死ねば、あなたは私が死ぬまで、愛してくれるもの。全てがそんな具合だった。その度に私は、そうか。とか、そんなことないよ。と、秋子に言った。
ある秋の日、秋子は病いを患った。先の長くない病いだった。あと一週間と医者に言われた時、秋子は、こう言った。
「私死ぬのかしら」
私は、
「そんなことないよ」
「いいえ。私わかってるの。自分のことだもの。ねえ、あなた、私が死んだら誰か他の女の人を家に入れるの?」
「そんなこと考えるな。俺の女は一生涯お前だけだ」
「そう。そうよね。あなたはそんな人でないものね」
三日後、秋子は死んだ。
私は、毎年秋が来る度に秋子を思い出し、秋子のことを思った。紅葉が赤いのを見ると、秋子の小さなもみじのような手を思い出した。秋は毎年来るけれど、私の愛した秋子はもうこの世にはいない。それだけが私を悲しくさせた。