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このひとは孤独だと思った。
わたしが、ついていないと駄目だ、そう思った。
一生ずっと、このひとといっしょにいよう、強く思った。
1
あなたと出会ったのは、もう三年前。
病院の喫煙所だった。
その頃あなたは、メンソールを吸っていて、細いたばこを吸いにくそうに、くちびるを尖らせて、くわえていた。
たばこを切らしたあなたは、隣に偶然居合わせたわたしに、たばこが欲しいとつぶやいた。
その言葉の奥に、わたしは何やら、どきりとするものを感じて、困ってしまった。
それが何だったのか、はっきりとは分からなかったが、このひとは寂しいんだと思った。
あなたは、婚約者がいるの、ぽつりと言った。
それきり会話はとぎれた。
あなたは、不幸なように思えた。
あなたの言う婚約者は、実在していなかのようで、存在がまるでうすかった。
その日、わたしがあなたについてわかったのは、あなたは、誰かを必要としているのではないかという、うっすらとした感触だけだった。
が、あなたと会うのを重ねると、その感覚を実感として、捉えるのだ。
実体が見え隠れするようになったのは、出会ってから、そう長くは時間がかからなかった。
しかし、わたしの身で、いったい何ができるだろうという、懐疑の念が重く、わたしの頭を立ちこめ、そして支配し、わたしは身動きが取れなくなるのが常だった。
そんなわたしの背中を軽く押してくれたのも、あなただったのは、不思議でもあり、必然性をまた感じざる負えないのだ。
2
クロード・ドビュッシーが好きだというあなたは、なぜかエリック・サティの名前さえ知らなかった。
わたしは、フェリージのナイロンポーチからiPod nanoを取り出して、サティを検索、再生してあなたの耳にパッドをあてた。
「きれいなピアノ曲。ちょっとドビュッシーに似てるみたいだわ。なんていう曲なのかしら」
「サティも、ドビュッシーと同じく、二十世紀フランスのクラシック音楽を支えた一人です。他の曲も聴いてみれば分かると思いますが、かなりジャズに近いものがあります。ドビュッシーにも言えますが」
「お答えになっていないようですわ。曲の名前は?」
「『Je te veux』といい曲です」
「何語かしら。英語ではないみたいですけれど」
「フランス語です。意味は・・・」
「意味は?」
「・・・、あなたが欲しい」
「うふ、知っていましたの。わたし、大学で第二外国語でフランス語を習っていましたから。ちょっと、あなたの反応を見てみたかっただけです。
そう言うとあなたは、左の口もとをす少し持ち上げて、笑みを浮かべた。
えくぼが、左のくちびるの少し下辺りに浮かび上がった。
「いっしょに聴きましょうよ」
片一方のパッドを、わたしの左耳にあて、サティをふたりで聴いた。
ピアノの旋律に、鼓動が重なって、わたしの心臓は敏感に震えて、なんだか身体が昂ぶった。
あなたとの距離が、一歩近づきつつあるのを、わたしは肌身で感じとったのだ。
わたしは、あなたが欲しくなるのを、禁欲主義的な配慮を以て、意識的に自らを抑制した。
あなたは、わたしよりかなり年はかなく、許婚者がいるのだ。
自分に言い聞かせた。
が、そう思えば思うほど、わたしは、あなたの中の女性を強く感じてしまうのだった。
それほど、あなたは美しく魅力的な女性だった。
五分弱、この曲が終わるまで、あなたとのプラトニック関係を築き上げる方案を頭の奥で念じていた。
空論は虚しく、わたしの胸を打った。
烈しく鳴るチャペルの三時の鐘の音とともに。
外出時間が終わった。
病室へ戻らねばならない。
わたしは、プロメテウスのよう重い鎖から解放された気分とともに、また裏腹、さびしい思いをぶらさげて、とぼとぼと病棟へ歩をあゆんでいった。
あなたに、さよならを告げて。
そんなセリフが、フランスのシャンソン歌手フランソワーズ・アルディにあるのを思いだして、苦笑した。
そいうえばこの曲も、わたしの今持っているiPod nanoに入っているのを憶い出した。
今のわたしの気分はまさに、アルディのヒット曲『さよならを教えて』なアンニュイの気分だった。
夕食までの時間。
わたしは無為に、この曲が頭を離れずにいて、ずっと天井を見つめていた。
白いはずの天井には、やはりというようにあなたの顔が浮かんで見えた。
よく見れば、染みなのだが、どうしてもあなたの横顔に見えてしかたがなかった。
いつの間にか、わたしは寝息をたてて、眠っていた。
つづく
ぼくには、大切なひとがいる。彼女っていうやつだ。
近所に住んでいるアイミーだ。自慢で言うつもりじゃないけど、彼女はこれで二人目だ。
前の彼女はママだった。
ママとは随分長くつき合った。ぼくの年齢と同じくらいに。
パパというライバルを打ち負かして、ママの彼氏という光栄な立場を力づくで手に入れた。
パパを負かすのは、難しいことではなかった。
パパは毎朝、ぼくやママが起きる前に仕事に出かけていったし、帰ってくるのは、ぼくとママが眠ってからだった。
そんなパパは、仕事が休みの日はお寝坊さんで、一日中布団の中に包まっていた。
ぼくはパパが、ママの前の彼氏だったことは、前にママから聞いてよく知っていた。だから、パパの生活ぶりを見て、これはぼくにとって最高にして最大のチャンスだと思った。
ぼくは思いっきりママにアタックした。
が、こういうことは、慎重にことを行わなくてはいけない。
だからぼくは、ママの気をぼくの方に向けるように、色々と注文をつけた。
今日着る洋服のくつ下は青いのがいいとか、朝ごはんのメニューに卵焼きがないから、今から作ってとか・・・。
ママは嫌な顔ひとつせずにぼくのお願いを聞いてくれた。
ぼくはそれを、ぼくの恋路が順調に行っている証拠だと思い、ママもまんざらでもないんだと思っていた。
パパはぼくのそんな裏切りとも言える行いを知る由もなかった。パパは今でも前と同じ生活が続いているものだとばかり思っているようだった。
ぼくは少しパパに気後れした。こっそり恋を育むのは男らしくないのかなとも思った。
だからぼくはある日曜日、布団の中のパパに話しかけた。
パパは半分眠っているような感じで、手応えがなかった。
けれど、ここで引き下がっててはいけない、ぼくは眠るパパに打ちあけた。
「ねえ、パパ。パパはもうママのことは忘れなくちゃいけない。なぜってママはもう、ぼくだけのものだから。わかったらもうパパはこの家から出ていかなくちゃならない、わかった、パパ?」
パパは返事をせずに、大きないびきをかいて眠っている。
この日から一週間後、パパは荷物をまとめて出ていった。
ママが言うには、どこか遠いところで一人で暮らすそうだ。
そうか、パパは眠ったふりして、ぼくが言ったことを全部聞いていたんだ。ぼくは合点した。そして、もう会うこともないだろうパパを想って少し感傷的になっていた。
ぼくはパパに罪悪感を感じるようになった。
パパはライバルだったが、一つ屋根の下で暮らした気心が知れた唯一の大人の男の人だった。
たまには休みの日に、公園に連れて行ってくれたりもしてくれたことがあった。
パパが本当にいなくなってみると、パパの良いところが見えてきた。
そして支離滅裂なのはわかっているけれど、パパを捨てたママを責めた。ママはそんなぼくを笑って相手にしなかった。
「大丈夫。また、近いうちに帰ってくるから、坊やは心配することないの」
ぼくはママの言葉を信じられる訳がなかった。だってパパが出ていったのはぼくが原因なんだから。
パパのいない生活にさみしいと思いながらも、その生活に慣れ始めた頃。パパが家に帰ってきた。
その時のぼくの感情ははっきり言って複雑なものだった。パパが帰って来てくれたのは、正直うれしかった。けど、約束を守らないパパは男らしくないって思った。
でも、パパに玄関で抱きかかえられると、昔パパに抱いてもらった感触が戻ってきて、体の力が抜けると一緒に、目から涙がこぼれた。
パパがぼくの涙を拭く。そしてママに言う。
「ぼくが単身赴任の間、坊やは元気にしていたかい?」
「そうね、最近少し元気がなかったかしら」
「そうか、こう言ってはなんだけど、少しうれしいな。ぼくなんて、今までも家にいても、いなくても同じようなものだったから。大丈夫、もうどこへも行かないから。毎日お家に帰ってくるからな」
「えっ、だってパパはママと・・・」
「仕事の都合で、しばらく家を空けていたけど、もうそれも終わったから。また三人で暮らそう」
そう言うと、パパはぼくの頭を撫でて、ママの頬にキスをした。
ぼくはまだ、家庭の事情が飲み込めていなかった。
やっとパパの仕事の都合が理解できたのは、アイミーっていう新しい彼女ができてからだった。
ぼくは毎日、アイミーと砂場で遊び、おままごとをして、一日を過ごした。
ぼくはきっと、アイミーのいいお婿さんさんになるだろう。
だってぼくには、パパという最高のお手本がいるのだから。
ママは、ぼくとアイミーの仲をどううやら認めたらしい。
ぼくとアイミーが遊んでいる姿を見ては、よく微笑んでいる。
パパはって?相変わらずにお仕事は忙しいようだけど、休みの日には、よくお出かけに連れていってくれるようになった。
今はこの間ペットショップで見たトイプードルを飼おうかって話で盛りあがっている。
パパとは色々あったけど、今ではいい友だちであり先輩だ、そして何よりぼくのたった一人のパパなんだ。
冬の寒い晴れた昼下がり。ぼくは庭に出たんだ、探検だ。
庭はぼくのお城。隅々までよく知っている。
ミノムシの家があるモミジの枯れ枝。下から何本目の枝にあるか知っているのは、ぼくだけの秘密。妹にも教えていないんだ。これはぼくの国家機密だからね。もちろん、去年埋めたカブトムシの幼虫のありかも。
でもこれはママだけには教えた。
なぜかって ? ママは庭いじりが好きだから、よく庭の土を掘り返して、色んな花の苗やハーブ(くさい匂いがするから嫌い)を植えているからね。
ぼくはイマイチ、花のよさって分からない。
妹は小さくても女の子だからだろうか、よくママの庭いじりを観察してる。そんな時、ぼくは妹にちょっぴり、ちょっぴりだけど、嫉妬する。
だから、妹がママにぴったりの時ぼくは、パパと囲碁盤で五目並べをしてる。でもつまらない。
パパは勝負には手を抜かないってのが、男の信条だとか言って、一度もぼくに勝たせてくれない。
「坊やが尚五郎で、おれは篤姫みたいだ」とか言っている。何やら、ぼくが寝た後に映っているテレビドラマのことらしいけど、一度もそんな遅い時間まで起きていたことがないから、分からない。それに大人が好きな番組には、ヒーローも怪獣も出てこないからきっとつまらないだろうと思う。
そんなぼくの野望は、大晦日の夜だけ、夜遅くまで眠らないで、除夜の鐘ってのを聞いて、初詣でに行きたいんだ。
師走って言って、十二月は過ぎるのが速いんだって、仲良しのアイミーが言ってたけど、本当に速くって、そうこうする内に大晦日の晩がやって来た。
家族全員で食べた年越しソバが、おいしくって。油揚げが甘く、舌がやけどしそうに熱かった。
パパが「もう寝なさい」。ママが「もう寝る時間よ」と畳みかけるように、ぼくを布団へ追いやろうする。
妹はもう、ソファで眠りこけていた。ぼくはいつもなら感じない妹への仲間意識を早速捨てなくてはならなかった。うらぎり者め、さっき、今日は眠らないってぼくと約束したのに。お年玉もらったら、プリキュア5買ってあげるって言ったのに、もう。
ぼくは怒りが込み上げてきて、パパのお茶を奪い、ごくりと飲み干した。お茶が違うところに入ってしまい、空咳が何度も出て、目から涙がこぼれ落ちた。最悪だ。
今夜は眠らない、ぼくはその時、一層自分の気持ちを強くした。
その時ママが、「もう仕方がないわね。今夜だけは一緒に寝てあげる」と言うのだ。ぼくはその強い誘惑に負けそうになった。
パパが言う。「じゃあ、ママと一緒に先に寝ちゃおうかな」
ぼくはその時こころの中で、「そりゃないよ。ダディ」と呟いて、「サギだー」と大声をあげた。
ぼくは負けた。人生初の敗北だったと思う。
いつもと違って、居間の奥の座敷の間に、布団を並べて、ぼくはもぐり込んだ。ママの手を離さないようにして。ぎゅっと強く掴んでさ。
「パパはいらない」、ぼくはパパに言ってやった。
「おいおい、そんなこと言わないで川の字になって、みんなで仲良く寝ようよ」
悪くない、正直そう思った。けど、やっぱり思い返し、今夜だけはママはぼくだけのものだ、って言いきかせた。
パパはしょげた振りをしながら、台所からお酒の瓶を持ってきて、ちびちびと始めた。内心まんざらでもなさそうな様子。
ぼくは速攻パジャマに着がえて、布団にまた入った。まだ冷たい布団が体に寒かった。足が冷えて、両足をこする。
ママが部屋を暗くして、布団に入ってきて、「おやすみ」と耳元でささやく。ぼくは耳がくすぐったくて、笑った。
後の記憶はない。
目を覚ますと、パパがとなりでいびきをかいて、眠っている。ママを探すとなんと、パパの向こうで向こうを向いて、眠っていた。
「サギだー。ママはぼくのものだー」ぼくはこころの中で叫び、ぼくはパパとママの間にもぐり込んだ。
そしてしばらくそうしていたけど退屈で、大きな声を出して、
「明けましておめでとうございます」と叫んだ。
こうやってぼくの新年が来たわけなのだけど、ちょっと納得がいかないところもあったけど、良しとしようと思った。ぼくもちょっとは寛大になった。
お雑煮を食べ、近くの白山さまへ初詣でのお参りへ行く。
ぼくは庭を見やる。
そしたら、昨日は出ていなかった、つぼみのようなものがあった。ママに「これ何 ?」。ママはうれしそうに、ちょと驚いて「あら、出たのね。フクジュソウ。この冬は暖かいから」
「ふくじゅそう」ぼくは確認するようにママの口を繰り返した。
「そう、フクジュソウ。2月には黄色い可愛い花が咲くのよ。楽しみね」
「フクジュソウ。フクジュソウ」ぼくはその新しく覚えた、そして初めて覚えた花の名前を忘れないように、念仏をとなえるように、白山さまへ向かった。
「何念仏となえてるんだい。正月早々縁起悪い」とパパが言う。
「ちがうよ。しあわせの御まじないだよ」
空は青く澄んで、雲ひとつない空の向こうには、富士山が見えた。
これはお正月早々縁起がいい、ぼくはほくそ笑んで、道ばたの石ころをひとつ蹴った。
ぼくにはママがいる。誰だってママがいるかもしれないけれど、ぼくのママはぼくだけのママだから、世界中で一人だけのママ
ぼくは子どもだけど、働いている。と言ってもしごとは一つだけ。パパだって一つの会社で勤めているんだから、お仕事は一つだけかも知れないけど、パパにきいたところ、会社では色んなお仕事をしてるんだって。
だからあえて、ぼくのしごとは一つだけと言おう。
そのしごとはって ? お皿拭きだよ。そう、ママがお皿を洗って、ぼくがそれを拭く。どうだい、すてきなしごとだろ。
お皿洗いには、ぼくとママだけのルールがある。
ママが洗った食器をぼくが手で受け取る。もう一つ、ママはぼくに食器を手渡すとき、食器の名前を言う。こんな感じににね。
「大皿」
「はい」
「スプーン」
「はい」
「フォーク」
「はい」
「しゃもじ」
「はい」
こうやって少しずつ、食器の名前を覚えていったんだ。ぼくはすこし緊張しながら、それらを受け取り、確実に水滴を拭きとり、台に置いていく。その様子はまるで、テレビで見た手術室のよう。ママがお医者さんで、ぼくはいつだってママの有能な助手なんだ、ってこころ構えで、お皿を拭いている。
たった一つのしごとを失くさないように。ママとぼくの親密な信頼関係を崩さないために。
ぼくは思っているんだ。大きくなっても、そう、本当に大きくなっても、この仕事だけは続けていくって。そう心に決めているんだ。
この仕事のことは、ぼくとキミだけの秘密なんだ。実はパパだって知らないんだ。パパは毎晩遅くに帰ってくるからね。もしパパがぼくの秘密を知ったら、こんなにすてきな仕事を欲しがるだろうし、そうしたら、ぼくは失業してしまうかもしれない。ママがぼくとパパのどちらを選ぶか、はっきり言ってぼくには自信があまりない。
ほら、ご飯の時間だよ。ママが呼んでる。ご飯が終わったら、すてきなお皿拭きの時間だ。ぼくとママだけの、ママとぼくだけのふたりだけの世界。
サティを聴きながら、君を想う。早朝のまだ陽の明けきらない冬の凍ったような静かな時間。
君は言っていたね。どうにも落ち込んだ時、何を聴くかって言うと、サティのジムノペディ1番だって。
そうして今、ぼくはサティを聴いている。
君と出会って、もうそろそろ2年になる。初めて会った時はやっぱり冬で、君は黒のタートルネックを着ていた。背が小さい子だなあっていうくらいが、第一印象だった。
それから、君と何度か話すようになって、君が絵を描いたり、詩を書くことを知った。君の絵は、温かな暖色系の絵が多く、ぼくの張り詰めた気持ちを和らげてくれた。そんなことは一度も君の前で口にしたことはなかったけど、ぼくは君の絵に救われていたんだと思う。
そんな君が、出会って一年くらい経ってからだろうか、よく眠れないと言うようになった。仕事柄夜遅くまでパソコンと向き合っていたから、眠る前、深夜まで気が張っていたんだろう。ぼくは寝る前に、蜂蜜入りのミルクを飲むとリラックスできるらしいよ、と君の不眠を心配していたが、一向に君の不眠は快くなってはいかなかった。
ぼくはある日、君と心療内科を訪れた。軽い不眠症でしょうという医師のあっさりとした診断に疑いも持たず、軽めの精神安定剤と睡眠薬が処方された。
不眠は快くなったが、君の体に変調をきたし始めているのに、ぼくは気がついていなかった。
そして、突然君はぼくの前から姿を消してしまった。仕事場の事務所も、借りていたマンションも引き払い。
君が病院に入院していると知ったのは、君の親友の子と街で偶然出会った時のこと。ぼくは当然のように君の行方を知らないかと訊ねた。
最初は戸惑っていたが、貝のような重い口を、渋々と開いた。
ぼくは何とか、入院先の病院の名前を聞くと、その日面会のためその病院へと向かった。
意外とあっさり面会を許可され、ぼくは不安を抱えながら病室へとエレベーターに乗った。
そこで出会った君は、まるでぼくのことを気にかけないように振る舞っていた。意識的かはたまた無意識か、君は宙を眺めながら、ぼくと他愛もない話でお茶を濁すかのように時間を潰していく。
面会時間がもう過ぎようとしている。
ぼくは大事な話ができないまま、この限られた時間を無駄にしようとしていた。
「もう、時間だから」君が切りだす。「また、会えるのかな」やっとの思いで、その一言が言えた自分に一瞬安堵のため息が出る。
「あなたの思うままに」その表情と微かなほほ笑みに、ぼくはまるで聖母マリアのそれを見たかのように、救われた。
「また来る」そう言い残し、ぼくは椅子から重い腰を上げ、病室から出る。病室のドアを閉め廊下へ出ると、深い息が喉から洩れた。
ただその時は、また君に会えるというよろこびより、重く立ち込めた病室の空気から解放された思いの方が勝っていた。
それを後悔したのは、一週間後。もう一度病院へ面会に行った時だ。
見るからに、君の病状は芳しくなかった。呼吸も少し荒く、ベッドから上半身を起こしているのがやっとと感じられる君を見ているだけで、辛かった。ぼくはその日の面会を早々に切り上げ、君に別れを告げた。
もちろん、それが生涯における君との別離になろうとは思う間もなく。
その夜、病院から君が急変したとの連絡が入り、ぼくはタクシーで向かった。
神の残酷なことに、ぼくが病院へ着いた時には、君は事切れてた。既に冷たくなろうと生の気配を消しかけている君の胸にぼくの頬を当てる。
沈黙の中、海のざわめきのようなさざ波が聴こえる。ぼくは君と行った百合が浜の海を思いだしていた。そう、あれも冷たい真冬、身も凍るかのような身体を寄せ合ったあの冬。もう二度と温かな君のぬくもりに浸ることもできないことに、君の肌の冷たさにぞっと、鳥肌が立った。
あれから。サティはぼくにとって、かけがえのないものになった。
レコード屋で、知らないサティのCDを見つけると迷わず買った。でも何かが違うといつも思っていた。このサティじゃない。ぼくの探し求めているのは。そう。ぼくは君の幻影をサティに求めていたのだから。
それに気がつくのに、ぼくは永くの時を費やした。ぼくは今まで買ったサティのCDを全部売り払ってしまった。
それから随分長くサティを聴くことはなかった。
そんなある夜、日比谷の紅鹿舎で珈琲を飲んでいると、ジムノペディ1番がかかった。ぼくはそのサティとの邂逅が偶然のものではなく、何か運命的なものに感じられた。
紅鹿舎を出ると、レコード屋へと向かった。サティを買いに。サティを探すと、以前持っていたものばかりだった。その中で一枚知らないCDがあった。ジャケットが気に入った。白と黒の紙仕様のもので、眼鏡をかけたサティのイラストが表紙に描かれてあった。ぼくは元々ジャケ買いする性質を持っていたから、そのCDに強く惹かれた。それでも十分程悩んだだろうか。結局買うことにしたのだが、その心の内は不安だった。また、サティに違和感を感じてしますのではないかと。
それでもその晩は、家に帰ってサティを聴くのがなんだか愉しみで、早足で家路へと向かった。
どこか儀式めいたような神聖な思いで、封を開けプレーヤーにそっとCDを乗せる。
流れてくる音楽に身を委ねる。時は自由で美しく、時間の経つのを忘れ、身も心もサティに任せた。
ああ、サティっていう音楽は、こんなにも、ああ、こんなにも、陳腐な言葉を借りれば、美しいものだったのだなあ。感慨に耽った。
その夜はぐっすりと眠った。君がいなくなってから、君の残影がぼくに転移したかのように襲っていた不眠を忘れて。
ぼくは今、初めて君の影から出てきた太陽のよう、君の死を礎に、新しい人生の出発の予感を感じていた。
深い眠りの奥底にありながら。
父の死因は癌だった。闘病生活は五年に及んだ。
地域の病院から癌専門の病院へ移ったのが、死ぬ二年前だった。
父は既にその頃ベッドから起き上がるのが困難で寝たきりでいることが多かった。
その頃から痛み止めのモルヒネも増えていった。そんな父を家族が交代で二十四時間介護した。
或る晩、父は二度目のモルヒネ注射でぐっすりと寝入っていた。
私は安心して仮眠をとることにして、仮眠ベッドに横になった。
その時だった。突然父がむくりとベッドから上半身起き上がり、喋り始めた。
その内容に耳を澄ますと、なにやら歴史の講義のようであった。
念のため言っておくが、父は教師ではない。医療関係の職業に就いていた。ただ父が歴史が好きなことは知っていた。
父の本棚を眺めると、司馬遼太郎や吉川英治の本がずらりと並んでいた。もしかしたら父は一度も口に出すことはなかったが、歴史の先生になりたかったのかもしれない。
父は延々と歴史の講義を続けた。
「みなさん。歴史の話などというと堅苦しい様に聞こえますが、実際はそんなことはまったくありません。話が退屈だと心配されている方はどうかご安心ください。実際歴史等と硬い言葉で言いますが、要するに歴史などというものは、昔の人々の生活なのです。私たちが今こうして毎日生きているように、昔の人達も同じように生活していました。それが歴史の本質なのです。だから念を押すようですが、みなさん、私の話が退屈だなどと心配しないでください。歴史は先程も申したように、私たちと同じ人間の生活なのです。ただそれの時代が異なるだけであって、本質は変わらないのです。人間の生活などというものは百年や二百年で変わるものではありません。だから基本的に私たちがこうやって日々毎日生きているのと変わりはないのです。ですからみなさん、これから始まる私の話が退屈などと絶対思わないでください。きっとみなさんが聞いてよかったと思えるように分かりやすくお話しますので、その点だけはご安心ください」
こうやって父の歴史の講義が始まった。
それは午前二時頃から五時頃までに及んだ。
私は父がぼけてしまったのを知りながら、少し涙ぐんだ。
しかしその内容はとても興味深く、興味をそそるものであった。それは父の知識の範囲を超しているように思えた。
内容は多岐に渡っていた。古代エジプトからユーラシア大陸、日本、とりわけ日本史の話は面白かった。
それが本当の事実の事かは、私が歴史に詳しくないのでわかならい。
ただ話に惹き込むストーリーテリングの魅力に取り憑かれた様に、父の話に聞き入った。
「みなさん。どうも長い間私の話を聞いてくださってありがとうございました。ですが今日の話はきっとみなさんのこれからの生活に役立つと私は信じています。私はそのために今日急がしいみなさんの前で一見何の役にも立たない歴史などというものを話したのです。どうかその事だけは忘れないで下さい。では私はこれにて失礼します」
父は講義を終えると、ぱたりと横になってすーすーと寝息を立てた。私は複雑な思いで父を見つめ、布団をかけた。
翌朝、父が目を覚ましたのを見計らって、私も仮眠ベッドから起き上がった。と言っても一睡もしてしない。
私は父に話しかけた。
「おはよう」
父はのそりと起き上がり、
「どなたですか」
と言った。私は覚悟はしていたが、来るべき時が来たのを悟った。
「息子の孝だよ」
「孝はそんなおじさんじゃない。孝はまだ小学校一年生だよ。どなたですか」
私はもうそれ以上押し問答をするつもりはなかった。
「親戚のものです」
「今まで会った事ありませんね」
「いいえ。小さい頃によくかわいがってもらいました。おじさんはきっと覚えていないと思いますけれど」
「そうですか。それはそれは。よく来て下さいました。ゆっくりしていってください」
「はい。そうさせてもらいます」
病室の窓から、朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。美しい朝やけだった。
ある晴れた朝、新吉は目を覚ました。今までの朝とは違う、本当の朝を起きた。
新吉は流行り病で寝込んでいた。医者はもう駄目だと言った。家の者は口を閉ざした。新吉は布団の中で全てを諦めていた。
そんな朝だった。身体が軽い。気分が軽いのを新吉は布団の中で、感じた。
新吉は布団から起きて、母親のところへ歩み寄ると、
「おっかさん、おいらなんだか直ったみたいだ」
母親は泣いて、喜んだ。
「今回はもう駄目だと思ったよ」
そう言われると、新吉の目にも涙が浮かんだ。が、新吉は生き返った。そうだ新吉は生き返ったのだ。
新吉は一度死んだ。新吉はそう思った。目覚める前の夢の中、死んだ父親が話しかけてきた。
「お前も苦労したな。よく頑張った。おらはお前が自慢だぞ」
新吉は、思わず涙が溢れ出てくるのを、止めることができなかった。
「うん。おいら辛かった。今まで口には出さなかったけど、ずっとおとっつあんが死んでから、辛かったよ」
「わかってる。わかってる」
そう言いながら父親は新吉の頭を撫でた。
「さあ、お前はもう寝ろ。おらは山に行って来るで」
新吉は頷くと布団の中で小さく丸くなった。
そして朝が来た。病いも悩みも苦しみもない朝が来た。
もう離さないぞ、この日を。決して忘れるまいぞ、この朝を。
新吉は朝の光に向かって拳を握りしめた。
ぼくが小さい頃、学校の近所の公園に、放課後、紙芝居屋さんがやって来ていた。
毎週水曜日が、紙芝居の日だったんだけど、ある日、紙芝居屋さんはやって来なかった。
翌週も、そのまた翌週もやって来なかった。
ぼくはもう、紙芝居のことは忘れてしまっていた。
そんなある冬の日曜日。
ぼくは父さんに連れられて、映画に行った。
何の映画だったかは憶えていない。外国の映画だった。
白黒のスクリーン。
ただ一つだけ、記憶にあるのは、映画のラスト、きれいな女の人が湖に飛び込んで、死んでしまったことだ。
子どもながらに、それを美しくも感じながらも、水はぼくにとって、死を意味するようになった。
ぼくはそれ以来、水が怖くなって、近所の里山にある池や用水路で遊ぶのも止めてしまった。
そんなぼくの楽しみは、本を読むことだった。
父さんの書斎に、こっそり入って難しそうな小さな活字だらけの本を眺めるように読みあさった。
その内、わからない漢字も段々覚えていって、本の内容が理解できるようになっていった。小学校6年生くらいになっていただろうか。
学校から帰ると、真っ先に書斎に入り、まだ読んでいない本を探して、(と言っても、ほとんどの本は背表紙で知っているだけで、中身は読んでいない)、本を開くのが習慣になっていた。
そんな日が続いた金曜日。なぜだか、その日が金曜日だってことは、今でも忘れずに憶えている。
一冊の大型本を適当に開くと、そこには、ぼくが本当に子どもの子どもだった頃の情景であり、憧憬が一面にあった。
紙芝居屋さんと、それを取り巻くあめ玉をくわえた子どもたちのモノクロ写真。
その頁を見た瞬間、なんでだか、両の眼から涙がこぼれ落ちた。
ぼくが写っていたのだ。
半ズボンにランニングのシャツを着た、痩せこけた一人の少年。紛れもなくぼくだった。
そこに、ぼくの生きた証しがあるって思った。
ぼくは、しばらくその写真を眺めてから、そっと本を閉じた。
それ以来、ぼくは書斎に行くことはなかった。
なぜだかわからない。ただ、彼処にぼくが本当に存在したってことが、不思議にぼくの心を安定させた。
そしてぼくはまた、友だちたちと里山で、ウサギを追ったり、水たまりで、ドジョウを取ったりするようになった。
毎日外でいっぱい遊んだぼくは、疲れて本を読むことはなくなった。
ただ、あの一枚の紙芝居屋さんの写真だけは、いつまでも心の奥深く、生き生きと、瞼の奥に焼き付いていた。
一つ書くのを忘れていたことがある。
あのモノクロ写真写真の下には、説明書きがあって、日本で最期の紙芝居屋さん、と書かれてあった。
忘れるに忘れられない、子どもの憧憬が彼処にあったのだ。
ヴァレンタインデイ。初めてのデート、寒い夜だった。
少女は男の子と、公園の観覧車に乗った。
少女はベージュ色のコートの裾を捲り、ピンクの手ぶくろを取った。
バッグの中に手を入れ、夜を更かして作ったチョコレートが入った包みを取りだして、膝の上に置いた。
男の子の顔を見た。男の子は心上の空、遠く夜景を眺めている。
「きれいだね」
男の子が言うと、少女の方を振り向いた。笑顔だった。
少女はその日、自分の中で、心が初めてときめいたのを、小さなその胸の奥、鼓動が速く高鳴るを知った。
わたし、この人が好きなんだ。その時初めて思ったように。
少女は躊躇うことなく、膝の上の包みを手に取り、
「初めて作ったから、自信ないけど・・・」
男の子の顔の表情がぱっと明るくなり、
「ありがとう・・・。ほんとのこと言うと、女の子からチョコもらうの初めてなんだ。ここで食べていいかな」
男の子はたどたどしく、ピンクのリボンを解くと、包み紙を丁寧に剥がし、折りたたんで、紺のピーコートのポケットに仕舞った。
箱を膝の上に置いて、蓋を持ち上げる。
「おいしい。口の中がとろけそう。今はひとつだけにしておくね。残りは家に帰ってゆっくり味わうから」
観覧車は、ふたりの永遠の時間をよそに、短く時間の環を1周し終えようとしていた。
観覧車が地上に降り、重力がふたりの間にふりかかった。
男の子が、少女の手を取った。
少女はためらったが、男の子はぎゅっと手を握った。
手は冷たかったが、次第に温もりに変わっていった。
ひとの温かさを初めて知った時間だった。
男の子は家まで送ってくれて、次に会う約束をして、その日は別れた。
少女は自分の部屋で、その日の余韻、しばし浸っていた。
ふと我に帰り、バッグの中を探った。
かじかんだ手が、バッグの内側に当って、擦れた。
手ぶくろが、片方見つからない。
少女は左の手ぶくろだけはめて、右手は男の子と結んでいたのだ。
バッグの中の物を全部出したが、手ぶくろは見つからなかった。
少女は気がつくと、男の子の携帯に電話を入れていた。
「ないの。手ぶくろが。きっと観覧車の中に忘れてきたんだと思う」
「大丈夫。明日、ぼくが取りに行ってくる。だから、今日は安心しておやすみ」
明くる日。夜まで待っても男の子からの連絡はなかった。
少女は男の子の携帯に電話をしたが、発信音が続くばかりだった。
その夜、少女は一睡もできなかった。
少女と男の子が会うのは、その夜が最後になった。
男の子は、その夜遅く、観覧車のある公園に行くと親に伝え、自転車で家を出た。
そして、自動車と事故に遭い、その短かすぎる命を失った。男の子の左手には、しっかりとピンクの手ぶくろが握られていた。
そのことを少女が知ったのは、男の子の母親からの電話だった。
あれから3年の月日が流れた。
少女はもう少女ではなく、ひとりの大人の女性になっていた。
ピンクの手ぶくろは、今でも彼女の机の引き出しの奥深くに仕舞われている。
毎年、その季節が近づくと、かつて少女だった彼女は、今でも少年のままのその男の子のことを、思いだす。
眠れない夜には、引き出しを開けるみることもあった。彼女と少年のイニシャルが縫われた手ぶくろに。手ぶくろを頬に寄せ、頬ずりしたあの寒い夜。
今ではもう遠く、記憶の彼方、彼女の思いでの中だけに生きている。
こんな物語りを書いてみたくなった、2月の夜。
C.Mさん 「ハピ・エンディングじゃなくて....申し訳ないです w」
今こんな事聞いていいのかな。
あのさ。思ったんだけど、ぼくには君が必要かい。
そう思ったら、堪らなくなって、ぼくは君を置いて、ひとり旅に出たんだ。
ぼくの行く手には、様々な困難と試練が待っていた。
ぼくは力の限り、力を尽くして、壁にぶち当たっていった。
結果、まあ、今ではのほほんと暮らしている。
でも、君がいないんだ。
君の不在はぼくをひどく憂鬱にさせた。
ぼくは宛先のない宛名だけの絵はがきを一枚書いた。
ぼくは返事が来るものと、なぜか信じきっていたから、待ち続けたよ。
毎日、郵便の配達の時刻には、玄関で郵便配達夫が来るのを待っていた。
でも、当たり前だけど、郵便は来なかった。
それでも何故かぼくには、君がぼくのことを想い続けているという確信があった。ストーカー。精神的ストーカーかもしれない。それはここでは問題にしない。
ある日、君と共通の友人にあったんだ。
友人は、君がどうやらロンドンに留学したらしいと話していた。
らしい、と言うのは友人も君の居場所を正確には知らないならしかった。ぼくに言わなかっただけ。そうかもしれない。
でも、その話を聞いて、ぼくは君に会いに行かなくちゃ、って思ったんだ。
ぼくは一週間後、ヴァージン・アトランティックでヒースローに降り立った。忘れもしない。一月十四日。
ぼくは君の手がかりなんて何も持っていない。探しようがない。
ぼくはヴィクトリア駅で、深夜まで座り込んで、ホームレスと話したりしながら、時間を潰した。
ホームレスの男がよく煙草をくれと言った。その度に煙草をあげた。
日本での習慣で、携帯灰皿に煙草を揉み消したのを見た男は、Crazyと笑っていた。
ロンドンでは、あちこちガイドブックも持たずにあちこち歩いたが、よく煙草をくれと言われた。
断る理由もないので、いつも一本煙草をやり、火を付けた。不思議と二本三本欲しがる人はいなかった。きっと吸いたくなればまた、誰かにもらうんだろう。
ぼくは、パリで好きなミュージシャンのズッケロがライブをすることをしり、急遽パリに行くことにした。
Waterloo駅からユーロスターであっという間の2時間40分。
パリに着くと、街中にズッケロのポスターが貼られていた。
ライブは今日。ぼくはダフ屋でチケットを買って、ライブを観た。ズッケロの実力も然ることながら、フランスで人気に驚いた。
その晩は、北駅の近くのステーション・ホテルに泊まり、翌朝とんぼ帰りした。
正午。Waterloo駅。カフェ。
ボウイがキンクスのカヴァーをした『Waterloo Sunset』がi podから流れてきた。
急に君のことを思い出し、愛おしくなって、涙が出そうに、零れ落ちそうになった。
少し席の離れた老夫婦が、ぼくを見て、泣くんじゃない、って言っている風な身振りをした。錯覚かもしれない。
ぼくはエスプレッソを飲み干し、カフェを出た。
その晩はWaterloo駅の近くのホテルに泊まることにした。近所に生演奏をやるパブがあったのも理由の一つだ。
部屋で荷物を一通り、クローゼットに仕舞うと、汗びっしょりだった。シャワーを浴び、コークを一気で飲み干す。
夕方。早速例のパブに行った。
中年のおやじが、Rockを弾いて、歌っている。
店に来る客もいい感じだ。
しばらくボストンでビジネスを習っているという女の子と話していた。
女の子がぼくの指輪を見て、言った。
「本物?」
「偽物だよ。ぼく自身と同じくね」
女の子は苦笑していた。ぼくは左の中指にはめたアンティックのアメリカの高校のカレッジ・リングを見て、その指に煙草を絡ませた。
一服していると、7・8人の団体客が入ってきた。学生らしい。その中に東洋人の女の子がひとりいた。髪が金髪だったので、一瞬分からなかった。が、よく見ると、見覚えがある顔だった。
サキだ。
サキは君の親友だったね。
ぼくはサキの所に歩み寄った。
「よう。こんなところで会うなんて奇遇」
「あっ」
言った後、しまったと言う顔をした。
ぼくは確信した。
君と一緒に住んでいる。
後は、もう言うことはない。
翌朝君に会って、長く話し合った。
君はぼくの半身、ぼくに欠けたものを補ってくれる。
ぼくは自然体で君と話し、よく笑った。
ぼくは君とそれっきり別れて、東京に戻ってきた。
二週間後、君から絵はがきが届いた。
一年後戻るから、それまでお互いの気持ちが変わらなかったら、一緒に住もう、って書かれてあった。
そして今、一年を迎えようとしてる。
ぼくの気持ちは変わらない。
そして君は・・・。