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今朝、ジョゼを去勢の手術に連れていこうと、キャリーケースを開くと、ジョゼは自分から中に入っていった。
なんだか複雑な気持ちだった。
動物病院に着くと、手術のための同意書を書くようにと、受付の女性が言う。
同意して、サインする。
ジョゼは、キャリーケースに入ったまま、病院の奥の診察室へと消えていった。
「じゃあね。明日迎えに来るからね」
澄み渡った五月晴れの日曜日にジョゼがいない。
家に帰り、家を掃除した。
ジョゼのトイレの砂を入れ替える。
きれいになった部屋はどこか空っぽで、むなしい。
片づけられたジョゼのおもちゃだけが、ジョゼがいる証しを証明している。
明日の朝、ジョゼが帰ってきたら、ジョゼはまた今までのように、うちに馴染んでくれるだろうか。
珈琲を飲みながら、食事しながら、ジョゼの食器や壁の引っ掻いた跡を眺めては、こころが虚ろ、心ここにあらずと言った感じ。
ジョゼがいないと、一日が、夜が長く感じられて・・・。
今日、五月十日は母の日だ。
母に、シルクのスカーフをプレゼントした。
もう二三週間前に買ってあったものだ。
これから、冷房の強い季節、電車の中や劇場の冷房にいいと思って買ったもの。
母は、「この間、いっしょに外で食事をしたから、いいのに」と言う。
わたしは、黙って聞いていた。
先日の読売新聞でカーネーションのことが書かれていた。
おそらく俗説だろうが、イエス・キリストが死んだ時、母であるマリアが流した涙が、カーネーションに変わった。とあった。
そんな記事を思い出した。
夜に風呂に入っていたら、井上陽水の「人生が二度あれば」が頭を過った。陽水が年老いた父母のことを歌った曲。
陽水にしては、歌詞がストレートで、よく行く中古レコード屋ヨネザワのキヨさんは、店に誰もいない時、たまにこの曲をレコードで聴くと言っていた。
前に一度、キヨさんとこの曲を聴いていたら、やっぱりいい歌だなあって思った。
明日、月曜日の朝一番で、ジョゼを迎えにいく。
今日空いた時間に読んでいた猫の本に、去勢されたオス猫をニューターと呼ぶと書いてあった。
ジョゼは、ジョゼは、また今までのように、振る舞ってくれるだろうか。
ジョゼは、ジョゼがどう変わろうが、わたしにとって、かけがえのない存在であることに変わりはない。
今頃どうしているだろう。
もう眠っただろうか。
ご飯はもらったのだろうか。
お水は飲んでいるだろうか。
今朝は、手術前で、ご飯も水も抜きだった。
今日はとても暑かったので、つらかっただろう。
明日は一日、ジョゼと時間を過ごそうと思う。
今夜空を見上げたら、おぼろ月夜だった。
丸い月がぼんやりと光っていた。
ジョゼを思いながら、煙草を吸う。
テレビモニタに映っている『LIFE ON MARS』も頭に入らない。
こんな夜のすごし方をわたしは知らない。
午後、ねずみのことから帰ってきて、リヴィングに入ると、いつものように、ジョゼがわたしの椅子で寝転んでいた。
わたしはソファに腰を下ろす。
この時間は、ジョゼはおとなしくて、わたしの膝の上に乗ってくれる。
今日も、ソファに座ると、すぐにジョゼがわたしの上に乗っかってきた。
今日は時間がたっぷりあったので、ジョゼの体を全身、撫でていた。
その内、ジョゼが寝息を立て始めた。
今まで、喉をグルグル鳴らすことは、毎日だったが、眠ったのは初めてだった。
軽いいびきをかいていた。
いつもなら、珈琲をいれる時間になっても、ジョゼは眠りから覚めない。
仕方なく、ジョゼを降ろす。
ジョゼは、何度も大きなあくびをしている。
実は明日、ジョぜの去勢手術をする予定なのだ。
だから尚更、ジョゼといっしょにいたかった。
一時間以上、ジョゼの温もりを肌で感じていただろうか。
夕食の後、いつもジョゼとボールで遊ぶのだが、今日は、ジョゼが男の子である最後の日だと思うと、なんだか切なかった。
ねずみのことの奥さんにも相談した。
「引っ掻いたりしなでしょうか。おむつとかするんですか」
矢継ぎ早やに質問を浴びせる。
奥さんは余裕たっぷりに、
「だいじょうぶ。簡単なものよ。ちょっと舐めるくらい」
「安心しました。ありがとうございます」
ねずみさんを出て、ジョゼに会いに家に帰る。
今夜の月は丸かった。
天気もよく、生暖かい。
月を見上げながら、煙草を吹かす。
ジョゼを思いながら。
明日は、ジョゼの朝ご飯も抜きだ。
朝一番で、動物病院へ行くつもり。
そして、一泊する。
ジョゼが来てから、初めてのジョゼの不在をどう感じるだろう。
きっと、静かだね。と家人と言い合うことだろう。
ジョゼの不在が、よりジョゼの存在を強く感じることだろう。
そんなことを、月を見ながら思った。
朝、ねずみのことで、コーヒーを飲んでいると、キヨさんが自転車から降りる姿が、小雨降る中、窓越しに見えました。
わたしは思わず、
「あ。キヨさんだ」
つぶやいてしまいました。
キヨさんは、中に入ってくると、迷わずわたしのとなりのシートに腰を下ろし、煙草に火をつけました。
ねずみのことの奥さんが、
「あら。キヨさんの知り合いだったのね」
「ほら。前に二階でアコーディオンのコンサートをやった時に来たじゃない。最近猫を飼い始めたんだよ」
奥さんは猫好きで、家でも一匹猫を飼っていて、店でも外猫さんをたくさん飼っています。
そのはなしは、前にキヨさんから聞いて知っていました。
なので、奥さんにいろいろ猫の相談をしました。
「最近、家に外猫さんが来るんですけど、どうなんでしょう?」
「オス?」
「わからないんですよ」
「顔がおおきいんんだっらら、オスよ」
「おおきいです」
「オスとオスだったら、危ないわよ。網戸なんて破っちゃうから」
「気をつけます。今度、去勢する予定なんですが、そうなると、外猫さんとの関係は変わりますか?」
「無視するようになるわよ。オスとして認めないから」
キヨさんの店である中古レコード屋ヨネザワを開く時間になりました。
キヨさんは、わたしに時刻を訊ねると、足早にねずみのことを跡にしました。
わたしはその後、持ってきていたダンテの『神曲 煉獄篇』を開き、コーヒーを飲みながら、読みました。
正午が近づき、わたしのお腹も少し減り、いつものカレーライスとコーヒーのセットを頼みました。
すぐに、カレーライスは出てきて、お腹を満たしました。
食後のコーヒーを飲み、煙草を一服し、コーヒーが安くなる珈琲券という五枚セットの券を買いました。
「また、猫のことで色々相談すると思いますが、よろしくお願いします」
カウンターに座っていた常連さんが言いました。
「ここは、『ねずみのこと』だよ」
「『ねこのこと』もお願いします」
店内に笑いが充ち、わたしは出口に向かいました。
出口の右横には、外猫さんのための募金箱が置いてあります。
わたしは小銭をに入れ、店を出ました。
その箱をわたしは、お賽銭箱と呼ぶことにしました。
小雨降りしきる中、わたしはキヨさんのいるヨネザワへと向かいました。
ヨネザワのガラス窓から、いつも見える外猫さんがいるのですが、あれは、ねずみのことで飼っている猫なのかしら。
いつも疑問に思っていたのです。
今度、尾行してみようかな。
なんてことを、思うでもなく、煙草を吹かしながら、雨の街を眺めました。
昨日、兄がうちにやって来た。
ジョゼがうちに来て、初めてのお客さんだった。
その日のジョゼはいつになくおとなしくて、いつもの体育会系のジョゼとは打って変わっていた。
いつもは珈琲を飲んでいると、テーブルに上がるジョゼが床で寝そべっている。
兄「なんだ。おとなしいじゃん。いつもは暴れてるって聞いたけど」
ジョゼは、じっと様子を窺っている。
兄はトイプードルを飼っているので、ジョゼを犬のように扱っていた。
頭をぐいぐい撫で、主従関係を作ろうとする。
それでもジョゼは、遠慮したのか兄に反抗もせず、イヤそうに頭を撫でられていた。
その日のジョゼは、ジャンプ力も瞬発力もイマイチで、格好悪かった。
こんなジョゼを見たのは、本当に初めてだったので、かわいく思えた。
そして今朝、朝食をとっていると、ジョゼが鳴いている。
珍しいことなので、ジョゼの方を見ると、網戸の側にジョゼが座っていて、なんと近所でたまに見かける外猫さんが濡れ縁に座っていた。
わたしが近づくとしばらくして、のそりと去っていった。
夕方、珈琲を飲んでいると、またジョゼが鳴いている。
「あら。また来てるわよ」
わたしは、二階からiPhoneを持ってきて、シャッターを切った。
それがこの写真。
暗いけど、よーく見ると、手前にジョゼが座っていて、外猫さんが網戸の向こうに座っている。
外猫さんは、ジョゼに威嚇していた。
ジョゼのしっ尾は、丸く膨らみ逆立っている。
こんなジョゼを見たのは、昨日兄とご対面した時が初めてで、珍しい。
きっとこれから、毎日外猫さんはやって来るのだろう。
今我が家では、外猫さんに名前をつけようか、考えている。
多分色んなうちで、違う名前で呼ばれているんだろうな。